【イギリスの歴史】 9日間だけの女王とブラッディー・メアリー(血まみれ女王)

イギリスは同じ名前の王様が多すぎて、誰が何をしたのかよく分からない! という方は多いと思います。

私もご多分に漏れず、『ヘンリー』とか『リチャード』とか『エドワード』とか『メアリー』とか・・・同じような名前に頭が混乱して、イギリスの歴史なんてチンプンカンプンでした。

でも、イギリス歴史のなかで特に目を引く出来事を見つけるたびに、そのことについて調べていたら、いつの間にかバラバラに記憶していた歴史の事象が1つのラインとして繋がるようになりました。

そんな私が最初に興味を持ったのが、『9日間女王』という異名をもつ女性 レディ・ジェーン・グレイ(Lady Jane Gray)です。

 

女王から降格させられた女性

レディ・ジェーン・グレイは、イギリスで初めて『女王』となった王族ですが、在位期間がたったの9日間でした。

しかも、後世の人々により、名称すら『ジェーン女王(Jane the Queen)』から『レディ・ジェーン・グレイ(Lady Jane Gray)』という一般人(貴族)の称号に降格させれてしまった、数奇な運命をたどった女性です。

その背景には、男子の王位継承者がいなかったこと、ヘンリー8世による宗教改革の影響でカトリック vs プロテスタントの機運が高まっていたこと、野心にあふれたライバルがいたこと 等々、数多くの要因が絡んでおり、これをすべて説明すると1冊の本では足りないくらいです。

レディ・ジェーン・グレイは、ライバルだったメアリー1世に敗れて王位を追われますが、私が興味をもったのは『ジェーンとメアリー、どちらが正当な後継ぎだったのか?』というポイントです。

 

男子継承者がいなかったエドワード6世

イギリスの歴史を知らなくても、『ヘンリー8世』の名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。ヘンリー8世は、愛人のアン・ブーリンと再婚するためにイギリス国教を制定した、16世紀の王様です。

エドワード6世は、そのヘンリー8世の息子で、母の違う姉と妹が1人ずつ人いました。

ヘンリー8世は亡くなる前に王位継承について遺言を残しており、当時の法律では『男子に継承権がある』とされていたため、『第一王位継承者はエドワードである』ということを明らかにしていました。

しかし、『エドワードに男系継承者がいなかった場合には、メアリー(姉)に王位継承権がある。その次にエリザベス(妹)に継承権がある』とも言い残していたのです。

ヘンリー8世が亡くなり、たった9歳で王位を継承したエドワード6世は身体が弱く、15歳になった1553年に病気で亡くなります。

エドワード6世は結婚もしておらず、男子どころか直系の子孫がいませんでした。

しかし、父であるヘンリー8世が遺言を残していたように、エドワード6世も次の王位継承者について遺言を残していました。

こちらは、エドワード6世直筆の遺言に書かれている言葉です。

 

… the Lady France’s heirs male, for lack of such issue before my death to the Lady Jane’s heirs male, and then on to her sisters to the Lady Katherine’s heirs male … 

(・・・レディ・フランセスの男系継承者、もしレディ・フランセスに男系継承者がいない場合は、レディ・ジェーンの男系継承者、その次にレディ・ジェーンの妹であるキャサリンの男系継承者・・・)

 

遺言に書かれている『レディ・フランセス』とは、エドワード6世の従姉だったフランセス・ブランドン(Frances Brandon)のことです。

フランセスはヘンリー・グレイ(Henry Gray)との結婚後にグレイという姓になりましたが、男子の子供はいませんでした。そして、ジェーン・グレイは、フランセスの長女にあたります。

しかし、この自筆の遺言はエドワード6世が死去する直前に、ほんの少しだけ書き換えられました。

たった2つの単語が付け加えられただけですが、それがイギリスの歴史を大きく変えることになったのです。

 

… the Lady France’s heirs male, for lack of such issue before my death to the Lady Jane's  and her heirs male, and then on to her sisters to the Lady Katherine’s heirs male … 

(・・・レディ・フランセスの男系継承者、もしレディ・フランセスに男系継承者がいない場合は、レディ・ジェーンと彼女の男系継承者、その次にレディ・ジェーンの妹であるキャサリンの男系継承者・・・)

 

つまり、レディ・フランセスには息子がいなかったことから、エドワード6世の跡を継ぐのはレディ・ジェーンであることが明確に記されていたのです。

この背景には、父と同じくプロテスタントであったエドワード6世が、次代もプロテスタントの王を望んだためではないか、という説があります。

スペイン王家から嫁いできたキャサリン・オブ・アラゴンを母に持つメアリーは、子供のころから敬虔なカトリック教徒でした。

そのため、エドワード6世がいくら禁じてもメアリーはカトリックのミサを執り行うのをやめず、そのことで口論になったこともあったくらい、2人は不仲だったと言われています。

 

 

9日間女王(Nine-day Queen)ジェーン

1553年7月10日に14歳のジェーンが即位を宣言すると、それを黙って見ていなかったのがエドワード6世の姉であるメアリーです。

もともと父であるヘンリー8世が、『エドワード6世の次に王位継承権がある』と定めていたことから、メアリーは自分に王位継承権があると主張して、ノーフォークで挙兵したのです。

いろいろな政治的背景と戦いの末、最終的にメアリーはジェーン陣営を下し、1553年7月19日に『メアリー1世』として即位しました。

たった9日間の在位期間だったジェーンはロンドン塔に幽閉された後、1554年2月12日に夫であるギルフォード・ダドリー(Guildford Dudley)とともに斬首刑に処せられました。

そして、ジェーンは『王権を脅かす大罪を脅かした者』として処刑されたため、彼女のことを正当な君主とは認めない歴史家が数多くいたのです。

そのため、彼女は歴史家たちから『クイーン・ジェーン(Queen Jane、ジェーン女王)』とは呼ばれず、『レディ・ジェーン・グレイ』と呼ばれるようになったのです。(ちなみに、現在のイギリス王室はジェーンを歴代の王として認めています)

 

ブラッディー・メアリー(血まみれメアリー)女王の誕生

メアリー1世はプロテスタント教徒を弾劾し、大勢のプロテスタントを殺害しました。これが、メアリー1世が『ブラッディー・メアリー』と呼ばれるようになった所以です。

5年余り在位した後、メアリー1世は1558年11月17日に亡くなりましたが、彼女の命日はその後200年間にわたって『圧政から解放された日』として祝われていたそうです。

 

法律的には、どちらが正当な王位継承者?

さて、ここで私が疑問に思ったのが、ジェーンとメアリーの『どちらが正当な王位継承者か?』ということです。意地悪な言い方をすると、『どちらが、王位を簒奪した者だったのか?』ということです。

いろんな本を読んだのですが、私の個人的な見解は『ジェーンが正当な王位継承者』です。

 

たとえば、エリック・アイブス(Eric Ives)は、その著書『Lady Jane Grey: A Tudor Mystery』のなかで、このような解釈をしていました。

前王であるヘンリー8世は、彼の意向にもとづいて王位継承順を決めました。

そして、このように『血統に基づく子孫ではなく、遺産を残すものが継承者を決める』ということは、当時の通例となっていた相続手法に叶うものだったそうです。

エドワード6世も、父王や世の中の慣習にならって自分の後継ぎを指名したわけなので、彼がジェーンを後継者に指名したことも当時の通例に叶っている、というロジックです。

 

また、ベス・ヴォン・スターツ(Beth von Staats)も、『Thomas Cranmer in a Nutshell』という著書で、こう解釈しています。

ヘンリー8世が崩御してエドワード6世が王となった時点で、ヘンリー8世が定めたことは次代の王であるエドワード6世が決めたことに上書きされるものと考えるべきである。

すなわち、前王が決めた継承順位ではなく、新王エドワード6世が決めた継承順位が順法である、というわけです。

 

では、なぜメアリー1世が(正当な王位をもつと思われる)ジェーンを倒すことができたのか?ということですが、いろいろな要因がかかわっています。

まず、大半の国民はエドワード6世が王位継承者を指名していたことを知らず、ヘンリー8世が残した遺言『エドワードの次はメアリー』ということを覚えていたため、ジェーンのほうが王位簒奪者のように見えたことが挙げられます。

そして、ジェーンの軍隊を率いていたノーサンブランド公ダドリーはジェーンの義父にあたる経験豊かな軍人でしたが、4年前にイギリス南東イースト・アングリア地方で起きた反乱軍を鎮圧するために多数の民衆を殺していました。

そのため、メアリーが挙兵したイングランド南東部では彼に対する反感が根強く、民衆たちのサポートを得られなかっただけでなく、ノーサンブラント公への恨みからメアリーの元に集まった人々も数多くいたと思われます。

また、ヘンリー8世が宗教改革をするまでカトリック教徒だった人々は、急に『プロテスタントになれ』と言われても無理があったことでしょう。

敬虔な行いを積んでいれば天国に行けると信じていたのに、急に『カトリックのミサへ行くな』などと言われたら『死んだら天国に行けなくなってしまう』と心配になって、カトリックの教えを復活させてくれるであろうメアリーを支持するのは、自然な流れだと思います。

 

メアリー1世が『王権簒奪者』なのか、『正当な後継者』なのか、それは専門家によって意見の分かれるところです。

あなたは、どちらが正当な王だったと思いますか?