【アイルランド】 Book of Lismore「リズモアの書」が400年ぶりにアイルランドに返還

Book of Lismore(リズモアの書)は15世紀後半にアイルランド西部で記されたもので、「Great books of Ireland(アイルランドの偉大な書物)」の1つだと称されています。

「リズモアの書」がアイルランド西方コーク地方から持ち出されたのは1640年のこととされており、2020年10月に Chatsworth Settlement の管財人が「リズモアの書」をアイルランドのコーク大学(University College Cork)へ寄贈したことで、この書物は約400年ぶりに故郷に返還されたことになります。

 

 

「リズモアの書」とは?

返還された「リズモアの書」は198フォリオ(『フォリオ』とは2つ折の綴じこんだページのこと、つまり約400ページ)により構成され、その内容は中世アイルランドの宗教観やヨーロッパの歴史、冒険譚など多岐にわたります。

きちんと系統立ってまとめられている書物で、聖パトリックや聖ブリジット、聖キーランなどのアイルランドの聖人たちの生涯と逸話から始まります。

しかし、宗教的な話だけではなく、フランク王国の Charlemagne (Charles the Great、カール大帝) によるヨーロッパ征服、9-10世紀にアイルランドで広まっていた逸話、また中世後期のヨーロッパで広く読まれていた「Golden Legend(『黄金伝説』と呼ばれる聖人伝)」、マルコ・ポーロの旅物語や Fionn mac Cumhaill(フィン・マックール、ケルト神話に登場する騎士団長)の冒険譚といった幅広い内容について書かれています。

この400ページにわたる「リズモアの書」を作らせたのは、15世紀にアイルランド・コーク州に住んでいた貴族でした。

キルブリテン(Kilbrittain, Co. Cork,)を治めていた貴族 Fínghin Mac Carthaigh (McCarthy) Riabhach(1478–1505) とその妻 Caitilín の要請に応じて作成されたもので、おそらく彼らの居城であったキルブリテン城(Kilbrittain Castle)で執筆されたものだと考えられています。

原本には作者の署名がないため作成した人物は定かではありませんが(写本が存在しており、写本のほうには署名があるそうです)、内容の大半が散文形式となっており、中世から15世紀にかけてのアイルランドやヨーロッパ各地の事象が書かれています。

現代の研究者たちは、貴族夫妻が作成させたこと、またその内容の幅広さから、学究的な目的ではなく当時の貴族の趣味嗜好を反映させた書物で、世俗教育について理解を深めるためのものだったと考えているようです。

 

「リズモアの書」がアイルランドから持ち去られた経緯

アイルランドは16世紀にイングランドが攻めてきてから何度も内戦が起きていましたが、1641年から始まった内戦の最中に「リズモアの書」はアイルランドから持ち出されました。

キルブリテン城(Kilbrittain Castle)が包囲されたときに「リズモアの書」が没収され、コーク伯爵(Earl of Cork)に献上されたのです。

1642年6月、当時23歳だったルイス・ボイル( Lewis Boyle )という青年が、「リズモアの書」を父親である第1代コーク伯爵リチャード・ボイル(Richard Boyle、1st Earl of Cork)に送ったという記録が残っており、この父親に送られた書物がキルブリテン城包囲の際に摂取された「リズモアの書」と同一のもの(=写本ではなく原本)であると考えられています。

リチャード・ボイル伯爵はアイルランドのウォーターフォード州(Waterford Co.)にあるリズモア城(Lismore Castle)を購入し、そこに「リズモアの書」を保管していました。

その後、リズモア城は婚姻によりデヴォンシャー公爵(Duke of Devonshire)であるキャベンディッシュ家(Cavendishes)の所有となり、2020年まで「リズモアの書」はキャベンディッシュ家のもとにありました。

ちなみに、この「キャベンディッシュ」家という名前はアングロ・サクソン系ですが、人種的にはアングロ・ノルマン系(フランス系)貴族なのだそうです。

しかし「リズモアの書」は、リズモア城のなかで長くその存在を忘れ去られていました。1814年に6代目公爵がリズモア城の改装をしたとき、壁のなかから「リズモアの書」とリズモアの司教杖(現在は National Museum of Ireland 所蔵)が発見されたのだそうです。

発見された「リズモアの書」は約100年ほどリズモア城に保管されていましたが、その後ロンドンのデヴォンシャー・ハウス(Devonshire House)へ運ばれました。そして、それから間もなく1920年にヴォンシャー公爵の居城であるダービシャー州(Derbyshire)のチャッツワース(Chatsworth)に送られ、2020年までチャッツワースに所蔵されていました。

 

「リズモアの書」と名付けられた経緯

キャベンディッシュ家は1814年に「リズモアの書」を発見して以降、学者からの要請があるたびにこの書物を貸与していたそうです。

壁の中から見つかった後、1817年から1821年頃までコーク在住だった学者 Donnchadh Ó Floinに貸与されることになり、彼がこの書物を「Book of Lismore(リズモアの書)」と名付けたそうです。

しかし、このとき貸与された198フォリオのうち66フォリオが何らかの理由によりキャベンディッシュ家へ返還されなかったため、その66フォリオを1860年にデヴォンシャー公爵が購入し、もとの198フォリオの書物に戻ったそうです。

その後も「リズモアの書」の研究は進み、1879年に写真での複製が作られたり、2010年にはコーク大学(UCC、University College Cork)によって全ページがデジタル化されて、2011年にUCCで開かれた展示会で一般公開されたりしました。

また、そのほかにも Royal Irish Academy や British Museum などへ研究目的で貸与されていたそうです。

 

「リズモアの書」が返還された経緯

「リズモアの書」が保管されていたチャッツワースの邸宅と所蔵物は、1946年に設立されたChatworth Settlement(管財人)の手により管理されていました。

管財人団体は、2011年にコーク大学(UCC)から依頼を受けて「リズモアの書」を貸与して以降、この書物をアイルランドに返還することを検討していたそうです。そして2020年に、キャベンディッシュ家とUCCとの長年にわたる友好の証として返還することが決まったそうです。

「リズモアの書」は2020年10月にUCCに寄贈され、今後はBoole Library に展示する予定だそうです。UCCは200冊以上にものぼるゲール語の貴重な書物を所蔵していることでも有名で、今後もさらに研究が進むことでしょう。

 

(出典)

University College Cork “Book of Lismore" 

RTE “Why The book of Lismore is so important?"

Oxford Reference “Book of Lismore"

Chatsworth